MY STORYNo,11

RESEARCHER

研究者

Aya
Ikegame

池亀 彩
アジア・アフリカ地域研究研究科 教授

COLUMN

運に導かれて
たどり着いた先は
心と頭を揺さぶる国、
インド

インドとの出会いは、早稲田大学理工学部建築学科で建築史を学んでいた学部生時代。建築史の分野は、日本、または欧米の建物が研究対象になることが多かったのですが、私の所属していた研究室は当時、アジア建築の研究を展開しはじめていました。
アジアの国をいくつか訪ねるなかでしだいに惹かれていったのが、西洋とも東洋とも違う、独自の文明を築いてきたインド。さらに、研究領域も、建築物以上にその地で生きる人たちのことを知りたいと関心が移ってゆきました。ベルギーへの留学をへて、京都大学大学院人間・環境学研究科の人類学のゼミに入学し、本格的に人類学の道を歩みはじめました。

インドで問う、「権力とはなにか」

人類学の研究をはじめて、3年間をインド南部カルナータカ州のマイスール市で暮らしました。慣れないカンナダ語の習得、マラリアや感染症の危険など、一人での滞在に困難はありましたが、現地の方にも助けていただきながら、2年めには王族へのインタビュー調査までこぎけました。
私の研究分野は、歴史史料とフィールドワークをとおして、対象地域の社会や文化に迫る歴史人類学です。なかでも、追究しているのが権力のあり方。権力をもつ人物には、一方から見ると抑圧者の側面がありますが、もう一方には民衆を惹きつける魅力的な側面があり、その両面によって権力はつくられます。近年はとくに、グルとよばれる宗教指導者のあり方に着目し、グルが必要とされる背景に迫るべく研究を重ねています。建築史学においても建築物と権力との関係は興味深いテーマ。研究分野は変われど、探究心の核は共通しています。

かつての不可触民であるダリトのグルM.C.ラージ氏とパートナーのジョーティさん。「ラージさんはすでに故人ですが、彼からは多くのことを学びました」

だいじなのは「なにを研究しないか」

1年のうちの3か月から半年をインドですごして、かれこれ20年以上。長年通ってもなお、インドにいると頭を揺さぶられるような驚きや衝撃の経験ばかりです。研究テーマになりうる、「なんでだろう?」という疑問が尽きることはありません。
しかし、こうした疑問はなにも、異文化だから浮かんでくるものではないのです。日本に暮らしていても、「なんで京都には都市銀行より信用金庫が多いんだろう」など、不思議に思うことばかり(笑)。興味をもちさえすれば、なんでも研究テーマになるというのが私の考えです。むしろだいじなのは、「なにを研究しないか」。はたしてそれは、私が取り組むべきテーマなのかと、自身に問うことも重要。

進む道が決まったあとは、前進あるのみ

これからも調査をつづけて論文を書き、成果を積み上げることは第一。一方で、情報が少ないゆえに誤解されやすいインドという国の姿を、どんな人でも手にとりやすい方法で伝えられないかを模索しています。2021年に出版した新書『インド残酷物語』(集英社新書)は、その第一歩。近年、日本で大ヒットしたインド映画がいくつかありますし、こうしたポピュラーカルチャーを通じて拙書を読んでくれる方も多く、ありがたいかぎりです。
私のこれまでの歩みは、運に恵まれた部分も大いにあります。自分で道を選んだというよりも、選んでもらっている感覚でした。でも、「あのときこっちを選んでいれば……」という後悔は私にはありません。合わなければやり直せばいいし、さっさと切りあげてもいい。選ぶことに重点を置くよりも、一歩ふみ出した方向にとにかく進んで、やってみる。これしかないというのが私の信条です。

マハトマ・ガーンディーについての文章を書く仕事をきっかけに、ガーンディーが実践した糸紡ぎを知るべく、手紡ぎの習いごとに通いはじめた。綿花を育てるところからはじめ、糸を紡いで、布を織っていく。「無になって、糸車のリズムに身を任せられる時間は格別ですね」。写真は初期に紡いだ糸

Recommend高校生のみなさんに手に取ってほしい作品

『アフリカのシュバイツァー』寺村輝夫 著 ( 童心社)

1960年代にフランス領コンゴ(現ガボン共和国)で医療活動に取り組み、「原始林の聖者」と呼ばれるシュバイツァーは、現地では強く批判されている──。アフリカをなんども訪ねた著者が、現地の視点をおりまぜてシュバイツァーについて述べた児童書です。私たちの世界で「いいこと」とされていることは、相手にとってはそうではないかもしれない。植民地主義という視点や、「いいことは、ほんとうにいいことなのか」と問う姿勢は、もとを辿れば、小学生のころに読んだこの本が教えてくれました。