MY STORYNo,12

GRADUATE

卒業生

Shimizu
Maki

清水真希
京都大学医学部附属病院 看護部
京都大学医学部人間健康科学科 卒業
兵庫県 兵庫県立長田高等学校出身

INTERVIEW

京大で追求した
「好き」の気持ち。
患者さんの
「食べたい」の思いに
応えたい

小学生のころに祖母が消化器系のがんを患いました。食べることが大好きだった祖母の食事ができなくなった姿を見るのは、とてもつらく、「なんとかしたい」と強く感じました。幼少期は病気がちで、もともと医師や栄養士、薬剤師などの仕事にも漠然と興味があったのです。
私も食べることが大好きで、人びとの暮らし、ひいては人びとの人生に強い関心がありました。そうした興味と、「人と話をすることが好き」という私の性質とが交わる場所にあったのが「看護師」という職業でした。

授業をとおしてふり返った原点の思い

看護学を学べる大学は多いのですが、京都大学を選んだ決め手はオープンキャンパスで感じた雰囲気。想像していたお堅い雰囲気とは180度違う、フランクな教員や学生の方がたと接して、「ここで視野を広げたい」と感じたのです。興味のある一般教養の授業が揃っており、選択の自由度が高いのも魅力でした。
入学時は、高校で山岳部に入っていたこともあり、山岳救助やドクターヘリなどの救急看護に興味がありました。しかし、のちにゼミに所属することになる白井由紀先生の授業が、いまにつながる指針となりました。がんなどの影響で固形物を食べられず、食欲不振になる患者さんにも食事を楽しんでもらえるように関わっておられるホスピスの看護師さんや栄養士さんの取り組みのお話を聞いたのです。そこで「患者さんが感じるつらさに寄り添いたい、なんとかしたい」という原点を思い出したのです。
卒業研究では、祖母のような終末期がん患者さんの「食べたい」という思いを支えるケアをテーマとしました。ホスピスの看護師さんや栄養士さんに直接お話をうかがうなかで、「食べる」ということひとつをとっても、「生きるために不可欠なもの」、「家族との団らんの時間」、「思い出の味」など、さまざまな意味があるとあらためて知りました。仕事への向きあい方にも共感できる部分が多くありました。

学部時代はアーチェリー部に所属。医学部のキャンパスは場所が離れているので、部活などでなければ、なかなか他学部生とふれあう機会がありません。部活のおかげで、いろいろな興味をもつ友人と知りあえたのは貴重でした

看護の仕事に同じ日は一日たりともない

卒業後は、京大医学部附属病院の耳鼻咽喉科・頭頸部外科に入職。疾患や治療の影響で起こる、「聞こえない・話せない・食べられない」などの機能障害をもつ患者さんに対する看護を実践しています。
 いまは約7名の入院患者さんを担当し、毎日の健康測定や処置、手術の準備などに日々奔走しています。将来、嚥えん下げ 障害や、手術によって口から食べることができないなど、食事に困難を抱える方の「食べたい」という思いを支えられるよう、まずは一人前の看護師になれるように勉強を重ねています。
するべきことが多いゆえに、ともすれば作業をこなすような感覚に陥りがちです。でも、それでは患者さんの抱える困難を見逃してしまう。医療の提供は、担当医や栄養士、薬剤師などと連携してこそですが、患者さんとふれあう機会の多い看護師だからこそ気がつけることはたくさんあると、先輩方の姿を見て感じます。「作業」にならないよう、毎日なにか一つ、患者さんに新しい話題を投げかけるのが私のルールです。
どんな過程を歩んでいたとしても、かならず看護師の道に辿り着いただろうと感じるほどに、この仕事は私の思いや志向に沿うものです。好きなことをつきつめる人を応援する、そんな京大の環境にも後押しされました。迷うとき、しんどいとき、「好き」という思いは力になります。京大であなたの「好き」sをつきつめてください。

双子の姉(右)も京都大学法学部の出身です。受験時は勉強の進捗を確認しあったり、問題を出しあったり協力して受験勉強を乗り切りました

COLUMN

休日のすごし方

休日は予定を詰め込み、外に出ることがリフレッシュになるタイプ。
写真は病院近くのワインバルで食べたムール貝。おいしいお店をいつも探しています(笑)。最近は沖縄まで一人旅をしたのがいい経験でした。

Recommend高校生のみなさんに手に取ってほしい作品

『わすれられないおくりもの』 スーザン・バーレイ 作・絵、小川仁央 訳( 評論社)

人との思い出や人からなにか教えてもらった経験は、その人がいなくなったあとも周りの人の心の中にずっと残りつづけていくものであること、そして、そのけして目には見えないものの大切さを、幼い私に教えてくれた絵本です。この本はわたしの看護観の礎になっている本でもあり、コロナ禍など条件があるなかでも、入院患者さんが大切な人と貴重な時間を過ごせるように努力することの必要性を感じます。そして私自身も、入院中に患者さんと関わるひとりの人間として、一つひとつの言葉を大切にしていかなければならないと、この本を読み返すたびに思わされます。