深町加津枝(地球環境学堂・准教授)
ふるさとの景を起点に
私が研究者の道を明確に意識したのは大学院に進んで間もなくの頃であったが、ランドスケープ研究の分野(造園学)に関心をもったのは小学校時代だった。それは、幼い頃によく遊んでいた実家近くの田んぼや川の様子が一転した、その風景を目の当たりにした日である。同居していた祖父母が専業農家であったため、圃場整備によってどれだけ農作業が楽になったかはいうまでもないことであった。ただ、私の体験と記憶の中で育まれてきたふるさとの景は失われ、寂しさとやるせなさが子供心に残った。
この記憶と体験を原点にしながら、私は東京大学林学科森林風致計画学研究室の大学院生となり、地域固有のランドスケープの維持・形成のための人と自然とのかかわり、森林や農地などランドスケープの構成要素の配置と生態的機能などの研究に関わることになった。このような研究テーマでは、現場を理解し、現場につながる調査研究が不可欠であり、現場に関わる人々から多くのことを学ぶことになる。大学院時代、私はアルバイトとして筑波研究学園都市にある森林総合研究所の調査研究に関わった。研究所内でのデータ入力などが主な仕事であったが、その一環としてブナ林や落葉広葉樹二次林での植生調査に加わった。関東周辺の森林の道なき道を突き進み、数多くの植物の名前を覚えながらの共同研究の調査は、体力的にきびしい時もあったが、現在の私自身の研究を支える礎となっている。
修士論文では栃木県那須町の景観構成木の意義に関する調査を行い、森林ではない、生活域での現地踏査や地元の方々への聞き取り調査を行う経験をした。ほとんど何もわからない状態で地域に足を踏み入れた一学生を温かく迎え、多くのことを教えていただき、現場と関わることを基本にした研究を続ける原動力となった。そして、就職先として農林水産省の研究機関を希望し、在学中に国家公務員一種試験を受けた。幸い試験に合格し、修士課程修了時に森林総合研究所に就職したが、最初に配属された研究は大学院までの専門とは異なる、林業の経営組織に関する研究を主なテーマとしていた。当時は、専門としてきたテーマに取り組めないことの戸惑い、落胆もあったが、林産業の現場や流通など新しい視点で地域を理解し、研究につなげていく貴重な機会となったように思う。
就職して1年半後、筑波から京都の支所に転勤し、大学院までに取り組んできた風致林管理というテーマを主体とする研究室で勤務することになった。嵐山や丹後半島など、新しい研究対象地との出会いがあり、居住することとなった湖西地域を含め、京都や滋賀をフィールドとした名勝地、里山での長期にわたる研究が始まった。このような研究は、博士論文にもつながり、働きながらの学位の取得となった。森林総合研究所はその後、国の研究機関から独立行政法人へと組織の形態が変化した。そして、約12年間の森林総合研究所勤務を経て京都府立大学に異動し、その後に京都大学に移り4年程が過ぎた。複数の職場を経験することにより、研究や教育環境が職場や組織のあり方によって研究の環境が大きく異なることを実感した。一方、それぞれの職場や組織に応じた働き方があり、このような環境の変化に柔軟に対応することで新しい研究の広がりを見いだす可能性もあると感じている。
いずれにしても一人の研究者としてできることは限られており、研究を通して出会った仲間や地域の人々、そして家族との関わりがあるからこそ、長年にわたって続けられる研究が成り立ってきたように思う。私は、大学院を修了して研究者になった瞬間から今日までの大部分を、女性の割合が1割程度に過ぎない環境で過ごしてきた。その中で、性別や年齢の違いを越えて研究者として尊重していくという姿勢をもった上司との出会いが何度かあった。また、限られた女性研究者であるからこそ、行政関連の委員会や市民活動などによる依頼も多くあるように思う。現段階では、女性を何割か加える必要があるからという消極的な要請も多いが、このような機会をとらえ、女性ならではの視点や関わりが必然となっていくような社会に貢献していくことも重要であろう。それは、研究者としてのみならず、社会の中での個人として、人や場所との出会いを大事にして、さらなる研究の深化、展開につなげていくチャレンジかもしれない。