林 美里(霊長類研究所・助教)
チンパンジーとともに
私が初めてチンパンジーと接したのは、学部1年生のときだった。臨床心理士を目指して教育学部に入ったのだが、ちょうど開講された新入生向けポケット・ゼミで、動物好きだったこともあってチンパンジー学集中実習を選択した。愛知県犬山市にある霊長類研究所に1週間滞在し、チンパンジー研究の実際を見るという内容だ。チンパンジーにヒトと近い部分があることを実感して興味をもった。
学部3年生のときに、アユム、クレオ、パルという3人のチンパンジーの子どもが誕生した。これを機に、チンパンジーの認知発達研究に参加することになった。母親に抱かれたチンパンジーの赤ちゃんはとてもかわいく、見ているだけで楽しかった。子どもたちが母親から離れて動き始めると、周りの人間もチンパンジーもすすんで面倒を見たがった。
それまでは母親の隣の部屋にきた子どもたちと一緒に遊ぶだけだったが、3歳頃からは勉強にも参加してもらった。積木をつむ、円形のカップをかさねる、というヒトの子どもの発達検査に使われるような対面課題をしてもらう。課題の後は、健康管理のために体温や体重も測る。全部終わると、母親のところに戻ってもよいし、気が向けば追いかけっこやくすぐり遊び、おんぶや肩車などで遊んでいくこともあった。かわいかった子どもたちも、5-6歳になるとやんちゃになり、よくけんかもした。11歳をこえた今では体重も同等になり、昔と違って一緒に遊んでくれることもなくなった。
研究所のチンパンジーだけでなく、本来の生息地でくらすチンパンジーの自然な姿を見るため、アフリカにも出かける。主な観察対象は、西アフリカ・ギニア共和国・ボッソウ村周辺にすむ13人の野生チンパンジーたちだ。日本を出てパリを経由し、首都のコナクリに着くまでに約2日。首都では、調査許可をとったり日用品の買い出しをしたりで最低2日。首都からボッソウ村までは、土埃の立つ悪路も通ってさらに約2日。片道だけで1週間近く余分にかかるので、調査期間を2週間とろうと思うと、1回の渡航が最低1か月になる。調査地では、朝暗いうちに起き、日が昇り始める6時半頃に出発して森に向かう。アフリカと言っても、森にいれば日中の暑さは気にならない。チンパンジーが木漏れ日の中でのんびり昼寝をしたり、高い木の上で悠々と果物を食べたりしている姿を観察していると、とてものどかな気分になれる。たまに日本の忙しい生活を抜け出して、アフリカの森のゆったりした時間に身をおくのもいいものだ。
女性がよくアフリカなんかに行きますね、という声も聞こえるが、じつは野生霊長類の研究者は女性が比較的多い。欧米で霊長類のフィールドワークを創めたのも女性だ。異郷の地で現地の人たちの協力を得て森に入り、普通はヒトを恐れるはずの野生霊長類に警戒心をといてもらい、言葉をもたない彼らの行動を地道に観察して、その奥の知性や心を探る。最新科学の大発見という派手さはないが、じっくり研究データを蓄積するという霊長類学の姿勢が、どちらかというと女性向きなのかもしれない。アフリカ生活で女性ならではの不便があったり、男性から軽視されたりすることもある。それでも、意外においしいご飯や、電気のある街で久々に冷えた飲み物を口にした、という小さなことに幸せを感じられる。また、とくに女性の同行者がいると、つっこみどころ満載のアフリカ生活は逆におもしろく、つねに笑いがたえない。女性ならではの視点や、楽しみ方がある。
私がなぜ研究者になったのか、と問われれば、チンパンジーがいたからとしか答えようがない。彼らのことをもっと知りたい、何とか彼らのためにできることをしたい、と思って研究者になる道を選んだ。今では研究所のチンパンジーたちも、10年以上の古株だと思ってか、それなりに私の言うことを聞いて仲良くしてくれる。視線や表情、しぐさで相互に意思疎通ができると、単純にうれしい気持ちになる。チンパンジー流の子どもの自主性を伸ばす子育て方針など、彼らが教えてくれたことも多い。チンパンジーの寿命は約50年といわれる。私が研究者になるきっかけを作ってくれた3人の子どもたちも、私自身も、これから出産・育児・老化とライフステージをかさねていくだろう。チンパンジーとともに生きる女性研究者の将来がどうなるか、乞うご期待。