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最先端で輝く先輩たちのキャリアパス

世界の頂点に立つ!目標に向かって、挑戦は続く!

セブンズラグビー・ARUKAS QUEEN KUMAGAYA キャプテン

竹内 亜弥(たけうち・あや)

1986年8月5日、岐阜市生まれ。滝中・高、京大文学部卒。2009年に新潮社に入社し、営業を担当。12年に日本代表候補となり、13年2月のワールドシリーズ米国大会で代表デビュー。同年9月には15人制日本代表としてW杯アジア予選に出場。14年4月に7人制チーム・アルカスクイーン熊谷の創部メンバーとなり、主将に就任。

不得意なことがあっていい!ラグビーは温かく、奥の深いスポーツ

「できないことがあって当たり前」。このラグビーの温かさは、私に合っていると思います。選手たちの得意・不得意がはっきり分かれているからこそ、チームが成り立つ。速く走れないわたしですが、それで落ち込んだことは一度もありません。走りが重要な場面では速い選手に走ってもらえばいいと思うし、その選手が敵につかまったときは、わたしの出番。体を張ってボールを出しにいくのが自分の役割です。

代表落選が原動力に自分の素質を発見した大切な期間

7人制ラグビーが男女ともにオリンピック種目に決まったのは、2009年の秋。ラグビーを始めてから半年後のことでした。こんなチャンスに巡りあうことは二度とありませんよね。
オリンピック新競技に採用され、注目が集まるなか、2012年に日本代表候補に選出されました。とはいえ他種目転向組のアスリートたちは、一芸に秀でた人ばかり。わたしも京大時代にバレーボールをやっていましたが、とても究めたとはいえない。運動量が評価され代表候補に選ばれたものの、当初はパスもできない、タックルもできない、何もできないわたしがどうしてここにいるのだろうと…。しかも、自信がなくて当たり前と、その自分を受け入れていたわたしがいた。
ところが、大切なセレクションに初めて落選し、2カ月ほど代表候補の活動ができない時期がありました。「この2カ月間、なにをしたらいいのだろう」と思ったときに、自信のなさを一つずつ埋めていこうと、決めた。体力づくりだけに打ち込み、こういうプレーなら自信がもてるきっかけとなった時期でした。同じクラブチームの選手が、毎日トレーニングに付き合ってくれましたから、苦しいというより、楽しかった。ウエイトトレーニングも、好きだなと思えた。これもひとつの自分の素質だという発見ができたのは、落選を機に与えられた大切な期間だったと思います。

目標を明確にしたモスクワW杯の決勝戦

印象に残っている試合は、2013年、モスクワで開催された女子7人制のワールドカップ。代表団の一人として現地入りしましたが、代表選手から外され、選手たちのサポートがわたしの役目。選ばれなかった悔しさはありましたが、あのときも自信をもちきれない時期だったので、ただ観戦するだけという感じでした。
W杯なのに、ロシアはラグビーが盛んではなく、会場はがらんとした雰囲気。日本は一勝もできず、選手たちの気持ちは盛り上がらないまま、決勝戦を迎えました。しかし決勝戦になった瞬間に、雰囲気ががらりと変わった。ピーンと張りつめた会場で、国歌斉唱をする選手たちを見て、「この舞台に立ちたい!」と強く感じました。このときになって、外された悔しさがふつふつとこみあげてきました。オリンピックで決勝の舞台に立つことが、自分の目標だと強く描けるようになりました。

100パーセントやりきったあと夢の実現の仕方が見えてくる

世界一に向けて、強化したい点はたくさんありすぎて、いくら練習しても足りたいという感じですが、フォワードとして、空中戦だったり、落ちているボールに飛び込んだりと、そういうところはチームで一番になりたいと思っています。
「リオ五輪が終わるまで」との約束で勤務先の新潮社は休職中ですが、ラグビーを100パーセントやりきった後にしか、夢の実現の仕方は見えてこないのだと思います。いまは、世界一の頂点に立ったあと、どういう人間でいたいか、どういう社会貢献ができるかを考えながら、五輪に向かって走りつづけています。

メッセージ

「迷ったら受け入れる」
それが、人生を前向きにするスタンス

わたしがラグビーを始めたのは23歳。遅いという人もいるかもしれませんが、全然遅くない。ちょうどいいタイミングで出会ったと思っています。もちろん、うまくいくときも、ダメなときもありますが、たくさんやってみれば、それだけうまくいくこともいくつかはあります。「迷ったら受け入れる」というスタンスが人生を前向きに変えてくれるのだと思います。
皆さんもぜひ、目の前にきたチャンスを怖がらずに受け入れ、自分の人生を切り開いてほしいと願っています。