村山美穂(野生動物研究センター・教授)
答えはひとつではない
研究者になりたい、とはあまり思っていなかった。職業としての絶対数が圧倒的に少ないので選択肢になり得ないし、自分がなれるものとも思わなかった。いま、ポケゼミで研究室に来る新入生で、将来研究者になりたいという人はかなり多い。研究者が以前より身近な職業になったのだとしたら、それは科学にとって喜ぶべきことだ。しかし「研究がしたい」のと、「研究者という職業につきたい」のと、その順番を間違えたところに、様々な論議を呼んでいる論文問題の根っこがあるのかもしれない、とも思う。
答えがいくつもあるものより、答えがひとつのほうがいい、と子供の頃から思っていた。大学進学にあたって理系か文系かを選ぶときも、答えがはっきりと出る理系のほうが自分に合っていると思った。それなのに今では、性格の形成という、答えがいくつもどころか、あるのかどうかすら定かでない分野に迷い込んでしまった。
大学院では、それまでの血液型などに代わって新たに用いられ始めていた遺伝子解析の技術を使い、ニホンザルの父子関係を解明する研究に取り組んだ。育児行動からは判別できないため謎だった父子関係が明らかになってみると、サルの社会で重要な意味を持つように見えた順位は、繁殖に大きく影響しないという、意外な結果が得られた。日々の行動と、その最終ゴール(と進化的には考えられる)としての繁殖には、やはり隔たりがあるようだ。行動の個体差に直接影響するような遺伝子を探したいと思うようになった。
行動の個体差、すなわち性格の形成には環境要因と遺伝要因の両方が関与しているが、環境要因は観察から推定できるのに対し、遺伝要因には未解明の部分が多い。ヒトで脳内の神経伝達やホルモン伝達を制御する遺伝子が性格に影響するという報告にヒントを得て、チンパンジー、シマウマ、ゾウ、イルカなどの集団でくらす動物、あるいはイヌやネコなどの伴侶動物、さらには鳥類から、イカタコなどの頭足類まで、様々な動物種で相同遺伝子の個体差を探索し、性格との関連を見いだしつつある。遺伝子型から性格傾向、すなわち個体の心をある程度予測できるようになれば、身近な伴侶動物や作業犬、直接観察や動物園での飼育繁殖が難しい野生動物との、よりよい共存が実現できるのではないか、と期待しながら、研究を進めている。
性格や行動を理解するのに、遺伝子によるアプローチのみで、単純明快なひとつの答えが出るわけではない。同じ遺伝子型を持っていても、DNA修飾などの様々な調節機構の影響で機能の差が生じており、大量ゲノム解析の時代になって遺伝子の働きについての理解が進めば進むほど、説明できないことが無数にあるとわかってくる。さらに環境要因も加わるのだから、まるで性格という大海で溺れている気分になることもしばしばである。
本来、世界は混沌としている。生物の集団は少しずつ異なる個体から成っていて、はっきりした境界があるわけではない。研究者は混沌の淵を覗いて、共通の集団や現象に命名をし、何らかの論理によって説明を付与する作業をしているのだが、解析技術や方法といったアプローチを変えて、よりよい説明を目指しても、完璧な説明は、そう簡単にできるものではない。大学とは、入るまでの受験勉強とは違い、問題も答えも無いところに、問題を見つけ、答えを見つけることの面白さを教わる場所だと思う。ゴールのない研究を長く続けるには、これを解明したいという最終目標があると同時に途中経過をも楽しむことが大切ではないかと思う。毎日の小さな発見を楽しみながら、目標に向けた問題と答えにつなげていく。そんな研究ライフが送れたら最高だ。
性格の研究をはじめて、個人差というのは、実際は表面に現れる以上に大きいかもしれないと思うようになった。「はい」という返事の中には、どれだけの「はい」と「いいえ」が含まれているのだろうか?「わからないこと」の存在を知り、「おもんぱかる」ようになるのが、研究者にもたらされる成果のひとつなのかもしれない。おりしも「共感性」という、分野を超えた研究グループに入れていただくことになり、異なる世界の話にわくわくしながらも、ますますその思いを強くしている。