市川温子(理学研究科・准教授)
落ちこぼれでした
高校生の時に相対性理論とか宇宙とかにあこがれて京大に入りましたが、早々と落ちこぼれました。最近は、理学部の少人数担任で1回生の面談の時に成績を見る機会がありますが、私の1回生の時ほど、ひどい成績はまだ見ていません。何もかも面白くなく悶々と過ごしていましたが、学年が進む間に少しずつ勉強を進められるようになって、ぎりぎりの単位で卒業しました。3回生、4回生の加速器を使った実験で、理論的な内容は全然ついて行けないのだけれど、グループの頭脳派の人たちに指示されるがまま、体を動かしてデータを取ったのがなんだか楽しかったので、大学院は原子核物理学という加速器を使う実験の研究室に進みました。要するに流されて進んだわけです。が、加速器実験というのは、過酷な面があって、加速器施設に行き、もらえたビームタイムまでに準備を完成させ、データを取らないといけない。24時間出続けるビーム、刻々と迫るビームタイム終了までに意味のあるデータが取れるかどうか、という強烈なプレッシャー。私の場合は、茨城県つくば市にある高エネルギー加速器研究所で、1週間のビームを使った測定をするよう送り込まれ、そこで茫然としていました。修士2回生の時です。毎晩、人のいない所で泣きました。今でも、ビームが出るときに鳴るサイレンの音を聞くと切なくなります。もうやめようかと思いました。が、なぜか続けて、気が付いたら博士課程を5年やって、博士号を取っていました。その時、振り返ると、これがめちゃくちゃ楽しい経験だったことに気づきました。ある目標のために何年もかけて装置を作り、それでデータを取って成果を得る楽しさに目覚めてしまったのです。
博士号取得後に私の進んだ素粒子実験分野というのは、目的のためには、辺境の地に行くのを厭わない、というか辺境の地に行かないとなかなか研究できない分野です。加速器は大抵、田舎にある、または外国。その他の実験施設も鉱山の中だったり、果ては南米や南極など。家族を持とうとするとなかなか大変です。私の今の研究は茨城県の東海村の加速器を用いていて、夫もそこの加速器で仕事をしているので、夫と子供は東海村に住み、私は週に一度、東海村と京都を往復しています。片道6時間。私のいない間の子供のお世話は、お父さんがこなしています。さらにもっといろんな場所で研究したいという野望はあるが、なかなかできない。どこでもドアが欲しいです。これからどうなるんだろう。たぶん、鍵となるのは、良い研究者仲間だと思っています。今までも良い研究者仲間に恵まれてきましたが、この分野は必ず多人数の共同研究なので、男性でも女性でも共働きの結婚をした研究者がうまく研究を続けられるかは、良い研究者仲間と研究していくことではないかと思います。女性の数が非常に少ない分野です。大学院生の頃、この分野で女性が研究室のスタッフになったら、その下で研究するのを男子院生は嫌がるのではないかとか、なめられるのではないかとか、悲観的に考えた時もありました。が、今、研究室にいっぱいいる男子院生にそんなことを気にしている院生がいるようには見えません。性別とは別の次元でなめられている(なつかれている?)面はあるかもしれませんが。私の家庭状況や体力差も良く理解してくれて研究のサポートをしてくれます。共働きの家庭との両立の難しい分野ではあるけれど、多人数の共同研究が前提であるためか、理解の深い仲間の多い分野でもあると思います。
大学1回生の頃、あんなに、なにもかもがつまらなかったのが嘘のように、今では科学の諸分野、歴史、小説等々、自分の研究以外のいろんなものが面白いと思えます。今、落ちこぼれている学生さんたちも、そんな日が来るように打ち込める何かを見つけられるといいと思っています。