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研究者になる

吉永直子(農学研究科・助教)

芋虫と私

昆虫の研究をしていると、昔から昆虫少女だったのかとよく訊かれますが、むしろ逆です。子供の頃、マンションの階段に蛾が止まっていると、息を止めて壁伝いに忍び足で駆け下りていたし、芋虫・毛虫は見るのもおぞましいと思っていました。その芋虫が実はかなりのベビーフェイスで撫でるとふにゃふにゃ気持ちいいなんて、研究で、自分で育てるようになるまで知りませんでした。なら何で昆虫の研究室を選んだのか。今思い返しても、何となく面白そうだったから、としか言いようがありません。その対象が好きかどうかと、自分がのめり込むかどうかはあまり関係ないようです。

「知りたい」という動機を持つこと、疑問を自分のものとすることが研究の本質だと、文化人類学の福井勝義先生が熱く語っておられたのを最近になって思い出します。2回生で選択したこの一般教養の演習には当初30名近い履修者がいましたが、フィールドワークのテーマを自分で見つけるという最初の関門でほとんどが脱落しました。その頃、私は別に履修していた地図学演習で「消えゆく銭湯」について実地調査する課題が出ていたので、銭湯文化をテーマに選びました。一石二鳥を狙ったわけです。当然ながら、それを選んだ理由を先生に訊かれました。最初は下調べで得た知識でそれなりに答えていましたが、すぐに魂胆がばれてしまい、「研究は時間もエネルギーも使う。生半可な気持ちでは続かない」と言われました。結局、与えられたテーマを取っ掛かりとして夏休みに始めた湖西農村でのフィールドワークは4回生の秋頃まで続いたと記憶しています。調査地の方々のご厚意と励ましに支えられたおかげでした。単位はもう関係なく、何とか形にして恩返しがしたい一心で、友人と共著で冊子に纏めるところまで先生に指導して頂きました。けれども、達成感はあったものの、どこかで「借り物」の研究だった感が拭えません。疑問を自分のものにしたという実感がなく、そもそも何故文化人類学に興味をもったのか、自分の中で掘り下げることができませんでした。

その淡い敗北感があったからかもしれません。研究室に入った時には、今度はとにかく本気を出したくて、与えられた課題「イネに誘導抵抗性を引き起こす昆虫由来エリシター」を何が何でも見つけてみせると意気込んでいました。芋虫が気持ち悪かろうが、有機化学が苦手だろうが関係ない。私が本気を出しさえすれば何がしかの結果は出るはず、と。ところが、やってもやっても、あと少しというところで結果がするりと逃げていく感じです。ここまでムキになったのは初めてというぐらい遮二無二のめり込んだ卒論研究で、得られた結論は「この世の摂理は私の努力と無関係である」すなわちno dataでした。思えばこの時初めて、深みに嵌るという感覚を味わった気がします。博士課程進学の覚悟を決めたのもこの頃でした。

今、教員側の立場になってもどかしく感じるのは、こうした自分の中の「知りたい」欲求・執着がどういうものかをうまく伝えることができない点です。私も学生時代はそうでしたが、いい発見をすることが目的だと思い込んでしまって、周りが次々と結果を出すことに焦ったり、自分には才能が無いと落ち込んだりしがちです。せめて大学にいる間だけでも、成果は二の次にして、まずは何かに食いついて自分で考え研究を進める醍醐味と、やるだけ無駄だと耳元で囁く悪魔にうち勝って「これを解くのは私だ」という執念を味わってもらいたいです。それが研究者の原点となり、研究を続ける原動力になると思います。

とはいえ、これまでに私も一度だけ、ぽっかりと執着が失せた時期がありました。いろいろと自分のことが思うように行かないのに、何で芋虫のことなんかで悩まなければいけないのかと。研究のどうでもよさに、ふと気づいて我に返った瞬間でした。幸か不幸かそんな精神状態は長く続かなくて、いつの間にかまた無心に葉っぱを食べる芋虫を眺めて和みながら「何でこいつらは……」と考えるようになって今に至ります。対象が好きではなくても研究にのめり込むことはできますが、一旦のめり込めば自然と愛着が湧くのかもしれません。

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