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研究者になる

今西未来(化学研究所・助教)

興味のおもむくままに

「研究者になる!」というほど強い動機を意識したことがなく、何を書こうか、本当に悩んでしまいました。私の現在に至るまでの体験談になってしまい、気恥ずかしいのですが、女性研究者や博士課程進学者は実際まだ少なく、少しでも参考になれば嬉しいです。

実験への憧れと、遺伝子への漠然とした興味から薬学部に入りましたが、学部時代は大学の“自由な気風”の中で、全く「学問」を意識しない生活を送ってしまい、将来のことは考えていませんでした。大学院を選ぶときは、何か、生命科学の根幹に関係がありそうなDNAへの興味から、宇治キャンパスの化研にあった研究室を選びました。

大学院では、科学への関心が高いメンバーが多く、また、かなり自由に実験をさせてもらえる環境でした。そのため、実験が楽しく、自然と博士課程への進学を決めました。「先のことはわからないので、面白いと思えることをやっていたい」と楽天的に考えていました。父が数学者で、心から数学を楽しんでいる様子を見て育ったので、研究者としての生活への不安がなかったことも大きな要因だとは思います。ただし、お金もかからず頭の中でできる数学と、研究費や人の協力、実験設備なしには進まない実験系との生活様式の違いに後になって気がつきました。一口に「研究者」といっても、その生活様式は様々です。でも、研究内容に何の制約もなく自由に考えられるということが、大学での研究職の最大の特権であり、興味に逆らえないのも、研究者としては仕方がないことではないでしょうか。

博士課程修了後は海外に出てみたく、興味ある論文を出しているアメリカの研究者にメールし、乏しい英会話力ながら面接に出向きました。今となっては、英語力をはじめ、紹介や奨学金の有無を気にせず、大した度胸だと思いますが、答が出そうにない問題には、あまり悩まずに興味の方向に進んで行けば何とかなるように思います。また、婚約するでも別れるでもなく、留学後の状況もわからない状態で応援してくれた今の主人の理解もあっての留学だったと思います。(女性研究者に限りませんが、仕事を続ける上で、理解あるパートナーを選ぶことは重要です!)ただ、1年たたないうちに、帰国の話があがりました。まだ、後につながる何かを得たという実感がない時期で、かなり迷いましたが、留学後は日本で職を得たいと考えていましたし、その時に研究環境の整った常勤の職に巡り合えるかは賭けだと思いました。「遅かれ早かれ、自分の研究をするのだから」というアドバイスに後押しされ、結局、1年3ヶ月のアメリカ生活後、京都に帰りました。

結婚し、また仕事では、大学院時代の研究をベースにDNA結合タンパク質に関する研究をスタートさせました。新しい興味から、当時全く素人であった「体内時計」の研究への提案書を出したところ、私にとっては大きな研究プロジェクトに採択されました。興味中心に直感で行動し、楽天的に進んできた人生だったのですが、その時は、大きなプロジェクトという不安も大きく、子どもは5年間ちょっと無理・・・と、研究中心の生活を送ることにしました。それまで、周りに子育て中の研究者がいなかったため、全く、そのような生活が考えられなかったのです。そのプロジェクトの中で、子育て中の女性研究者に出会い「何とかなるもんだ」と実感し、また、「長い目で見てトータルとして理想にかなう生活ができれば」という意見を伺いました。子育てへのハードルは下がり、また、研究にゴールや目星がつくことはないということをようやく悟り、出産に踏切りました。運良く、現在は3歳と0歳の2人の子どもに恵まれ、保育園と実家から通ってくれる母に助けてもらいながらの生活です。時間の制約や睡眠不足は予想以上に大きく、何とかなっているのか今は正直わかりません。でも、これからも続けたい長い研究生活のほんの数年と割り切り、研究生活も家庭生活も豊かにしたいというわがままを叶えるべく、奮闘中です。家族やラボのメンバーには感謝しきれませんが、周囲に感謝の気持ちを持って、研究には集中力と独創性を大切にして取り組みたいと思っています。

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