鈴木晶子(教育学研究科・教授)
研究の道に賭ける
どうしたら研究者になることができるのかという問いに出会うと正直言って困惑する。始めから研究者になるためのノウハウを考えてきたというより、むしろ、これまで嬉しいにつけ悲しいにつけ自分の一番近いところにあって、自分を支えてきてくれたのが研究という仕事だったという感が強いからである。研究者になろうとすること −それは「研究の道に賭ける」ことに他ならない。研究へと自分を内から突き動かす情熱があるならば、研究がとにかく好きならば、研究を続けるための手立てはなんとか見つかるものである。と同時に、何事も研究を続けるための環境作りと思ってしまえば、プライベートの生活設計 —パートナーや周りの人々とのネゴシエーションも苦ではなくなってくるから不思議である。仕事と学業の両立、生活費の確保と研究との両立はもちろん大変だ。だが、それ以上に子育てや介護といった、助けを必要とする家族を抱えた毎日と研究との両立は一段と厳しい。私自身、4年前に末期がんの父母を在宅で看取るという時期があり、そのことは痛感した。しかし、研究に賭けようとしている私を理解し支えてくれる周囲の人々の存在を再確認できたのも、そうした体験を通してである。逆に研究があったことで、厳しい時期を乗り越えることもできたと思っている。
大学院進学のときから、研究職は出口のないトンネルに入るようなものだと聞かされていた。ポスト獲得が非常に困難だという意味である。だが、たとえポストに就けなくても研究だけは一生続けたいと私は思っていた。それにはまず生活費を稼ぐ手段を確保しなくてはならない。そこでドイツ語の通訳・翻訳の資格取得のため大学と併行して専門学校に通うことにした。ドイツ語の修練は、大学の勉強にも一挙両得だった。指導教授はドイツ人で、ゼミや論文指導もドイツ語が中心だった。教育哲学の研究には、テクスト解読の技を徹底的に訓練する必要がある。ドイツ人教授による指導は、ひとつ一つの概念の背後にあるギリシャ語やラテン語の素養や、伝統的な文献学を駆使した大変魅力的なものだった。
「価値伝達における客観性確保」をめぐる哲学論争に関する修士論文を書いたあと、奨学金を得てケルン大学哲学部に留学した。博論執筆の資料収集のために渡独したのだが、やはり哲学の本場で本格的なテクスト解読の手法を身につけたいという思いは強かった。アメリカ式の企業人養成に関する指導書の翻訳など、学生時代からのアルバイトが縁で、幸運にも、渡独とほぼ同時に、ケルンにある国営ドイツ短波放送局の職や会議通訳の仕事を得ることができた。そのおかげで、ドイツに腰を据えて学位論文を執筆する道が開けた。7年間にわたるドイツ留学で私が扱ってきた主題は、人間の才能発現における判断力、勘、集注の働きに関する哲学的研究である。学位取得後は、引き続き日本の大手広告宣伝会社のドイツ支社での仕事と併行して、学会発表や論文執筆を同じペースで進めていた。医学や心理学と教育学がまだ専門分化する前の18世紀、森で遺棄され狼に育てられた子ども、いわゆる狼少年の教育実験に端を発する私の研究は、勘のメカニズムや象徴表現の理解に関する心理学や脳研究が活発化するにつれ、新たな学習論の開発に繋がると理解されるようになった。そうした流れのなかで、いまから10年前、京都大学に着任した次第である。
現在は、ベルリン自由大学と共同研究を進めており、院生も動員したワークショップやシンポジウム開催などで年数回はドイツと行き来している。ベルリン自由大学は2008年3月にインド・ニューデリーにエクステンション・キャンパスをオープンする他、中国との連携強化を目指している。また、自然科学の躍進に伍するかのように、EUの主要大学とともに、ルクセンブルクに人文科学系のEU連合大学設置に動いている。こうした状況下、欧米を視野に入れつつも、ポスト近代の思想状況や社会システムに合致する新たな教育や学習の形を、日本から提示することが私の今の課題である。それには、中国や韓国との研究交流の活性化や、海外の研究者と対等に議論できる人材の養成が重要である。また、教育哲学がいま脳研究や身体論などとの協働が求められる背景には、19世紀末以来、乖離した自然科学と人文社会科学を再び結び付けていく必要を訴える科学全体の最近の動きもある。文理融合の21世紀型の叡智をいかに再生するかは喫緊の課題として、いま、日本学術会議で熱心に議論されているところだ。
研究者であるということ —それは、研究成果を含め、研究という仕事全体を後進に伝達するという流れの中に身を置くことに他ならない。後進を育てることは、研究者みなに課せられた大きなミッションである。個人の研究実績だけでなく、研究者として生きる姿が常に問われているのだろう。真価が問われる未来に向け今後も精進していきたいと思っている。