横山美夏(法学研究科・教授)
ロールモデルの重要性
私が、母校の早稲田大学法学部からそのまま同じ大学の大学院に進学したとき、私も、周囲の院生も、私が将来常勤の大学教員になれるとは思っていませんでした。
当時、全国的に見ても法学部に女性教員は少なく、増して、私立大学出身者の女性に就職口はない、といわれていました。ですから、私には、将来就職できるとは思えませんでしたし、周囲も、そのうち結婚して主婦になるのだろうけれど、非常勤でもあればいいね、と言っておりました。ただ、民法の解釈学がとても面白かったので、勉強が続けられればいいと思い、進学したのです。当時は、バブル経済期に入ろうとしていたときでしたから、自分1人食べてゆくぐらい、何とでもなると高をくくっていたところもあります。とはいえ、修士課程にいたときは、我を忘れるほど熱心に研究に打ち込んだわけではなく、研究そのものも、とても中途半端だったように思います。
そんな私の考え方が変わったのは、博士課程に進学すると同時に、早稲田大学法学部で3年間の任期付助手に採用されてからです。というのも、単純ではあるのですが、助手に採用されて経済的な心配がなくなると同時に、給料をもらって研究するからには、学費を出して研究していた今までとは違い、給料に見合うだけの勉強をしなければならない、と感じたからです。また、早稲田大学法学部では、それまで、女性の助手が採用されたことはありませんでしたので、自分がきちんとしないと、助手に推薦した下さった指導教授にも、後輩の女子学生にも迷惑がかかる、という責任も感じました。そして、当時はあまり意識していませんでしたが、一生懸命頑張れば、もしかしたら、研究を自分の仕事にできるかもしれない、という希望が生じたことも、考え方が変わった大きな要因だったと思います。
任期付であっても、研究が仕事になったことによって、研究に対する真剣さは、相当に変わりました。また、大学院生のときと違い、2人1部屋ながらも研究室が与えられ、研究費も1人前に学部からいただけるようになるなど、研究環境にも恵まれました。さらに、同世代の助手が、朝から晩まで勉強し続ける姿を目の当たりにしたことも、大きな刺激になったように思います。
助手論文のテーマは、フランスにおける不動産売買契約の成立過程についてでした。1804年の民法典制定後から現在までの関連する判例をくまなく調べ、分析する作業は、時間はかかるとはいえとても楽しいものでした。結論をどのように理論構成するかについても、とても苦しみましたが、考える苦しさのなかに、楽しさがあふれていることを実感したのもこのときです。
とはいえ、その後、関西の大学に就職の道が開けたときは、それが、とても幸運なことであったにもかかわらず、嬉しいというより、実家から離れ、友達と離れることの淋しさのほうが大きくて、相当に躊躇しました。正直、就職が遅れても東京にいたいと思ったくらいです。研究に対する姿勢が変わったとはいいながら、まだまだ甘い考え方が抜けていなかったのでしょう。
結果的には、指導教授や家族に押し出されるようにして、大阪に来ることになりました。でも、今では、関西に来て本当に良かったと心から思っています。初めて就職した大阪市立大学法学部でも、女性の教員は、当初、私ひとりでしたが、とても快適な研究環境で、優秀でかつ温かい人柄の同僚に恵まれました。もちろん、それまで自分が知らなかった考え方に出遭って、驚いたり落ち込んだりもしました。でも、それらを通して、自分の目指すべき研究はどういうものかについて、考えを進めることができました。そのなかで、フランス法との比較法研究を深めてゆこう、という思いが強くなり、研究の方向性がつかめたように思います。
京都大学法学研究科に就職したのは、2001年の春です。当時、夫は東京の大学に勤めておりましたので、私が京都大学に就職したときは、定年退職するまで別居結婚のつもりでおりました。幸い、しばらくして夫も関西の大学に職を見つけることができましたが、これもまた、幸運としかいいようがありません。
京都大学でも、良い出会いをたくさん経験しています。なかでも、女性教員懇話会を通じて、いろいろな研究分野の、私よりも年上の卓越した女性研究者に出会うことができるのは、とても素晴らしいことだと感じています。自分にとってのロールモデルが身近に多くおられ、それぞれの置かれた環境で溌剌と研究をされている姿を見ることは、とても大きな励ましになるからです。あらためて、ロールモデルの存在の重要性を実感すると同時に、自分自身もまた、研究者志望の女子学生や院生にとって、良いロールモデルとなることができるよう、責任を感じています。