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- 三野 和惠
自分が取り組む研究をより良いものに、「今やるべきこと」をコツコツと。
教育学研究科 助教 / 三野 和惠( MINO Kazue )
- 国際基督教大学教養学部卒業
- 京都大学大学院教育学研究科修士課程修了
- 日本学術振興会特別研究員
- 台湾奨助金受奨学人(国立成功大学)
- 京都大学大学院教育学研究科博士後期課程修了
- 日本学術振興会海外特別研究員(エディンバラ大学)
- 京都大学大学院教育学研究科助教
- 研究テーマ:
- 日本植民地期台湾(1895-1945)のキリスト教と反植民地主義ナショナリズム
自分自身の生き方としてキリスト教を考える
小学生の頃から転校が多く、周りに馴染めず孤独を感じることが多かった中学時代。自転車で40分かかる遠くの高校へ進学したのは、全く異なる環境を求めた結果でした。入学後に膨大な宿題や充実した課外活動に追われ、孤独感を味わう暇はなくなりましたが、どんなに必死にやっても報われない経験をすることにもなりました。好きだった数学の成績があっという間に悪くなり、古生物学者になるべく希望した理系の選択を、担任に「理系に行けば死ぬと思うよ」と言われて諦めてしまいました。一方で、以前から好きだった世界史や漢文・古文・現代文の授業を楽しみ、歴史研究部に所属し、記事を書き冊子を作るうちに、歴史をやってみようと考えるようになりました。そこで大学は、歴史学が充実している憧れの京大文学部を、不合格覚悟で受験。第二志望は、私に読書好きになるきっかけをくれた伯母の母校で、リベラルアーツ教育を掲げている国際基督教大学(ICU)でした。京大に落ちたのは残念でしたが、ICUのキャンパスや雰囲気は気に入り、合格後迷わず進学を決めました。ICU入学後に驚いたのは、「教室内では英語しか使ってはいけない授業がある」ということ。英語でのやりとりへの不安はもちろん、より辛かったのは活発な発言・発表が期待されていたことでした。対話より文面でのコミュニケーションの方が安心できる私は、この部分では非常に苦労しましたが、大学の授業はどれも面白く、深く印象に残っています。勉強以外では、授業をきっかけに興味を持った太極拳に熱中したり、大学教会の聖歌隊で活動していました。幼児洗礼を受け、小さい頃から教会に通っていたため、授業や聖歌隊での活動を通して、本格的にキリスト教を自分自身の生き方として考えると同時に、学問の面でも宗教・思想への興味を深めていきました。台湾のキリスト教をテーマに卒業論文を書く一方で、「スコットランド人宣教師と台湾人の出会い、そこにおける摩擦やすれ違い、あるいは相互関係やそれに触発された変容」に興味を持つようになり、京都大学教育学研究科に進学して研究を続けることにしました。
先祖の母国、台湾への思い
母親が台湾人でキリスト者であったものの、自分にとって台湾は「あまりよく知らない故郷」でした。時折祖父母や親戚を訪ねて短期滞在するのみで、当然台湾語も話せませんでしたが、台湾の人々の他人に対するフレンドリーさや、活発さに魅了されました。こうした言語的・文化的な隔たりを超えて台湾のことをもっと知り、その社会の中に入っていきたいという願望が研究テーマの選択、台湾語やマンダリンの学習の動機となりました。同時に、植民地時代に育った祖父母の経験をもっと知りたい、理解したいという思いもありました。私が高校生の時に他界した祖父は、少年時代の話をよく聞かせてくれました。その大半はいかに日本人の教師や上司に反抗し、言い負かして泣かせてやったのかという話でした。イギリスのインド支配の話になると、「昔は他人の国をとった奴が英雄だったんだよ」と、楽しそうに話していましたが、外来政権の支配を受ける悔しさが窺われるような言葉が印象に残っています。大学院で、台湾のキリスト教史の研究をし、台湾語を学んでいることを祖母に話した際には、「それは嬉しいね。台湾のことを研究してくれる人がおるなんて」と言われたことも深く印象に残っています。その時代にそれぞれ医師と教師になった祖父母は、共に教育の機会に恵まれた幸運な人たちであり、日本人の親しい友人も多くいましたが、そうした中でも植民地支配を受けるということで、決定的に傷つけられていたのだということを深く考えさせられました。宗教・思想について考える際に、とりわけこれらが植民地支配下を生きる/あるいは差別的な状況の中で生きる人々にとって、どのような意味を持ち得たのかという問題に関心を持つようになったのは、こうした背景があったからだと思います。
一歩ずつ、着実に進む研究者への道
これまで「研究者を目指す」と意識したことはあまりなく、むしろ迷いながら今やるべきことをやっていく中で、ここまでやってきました。考えを素早くまとめ発言するのが苦手で、このまま研究者養成コースを進んでいく資格が自分にあるのかと悩みました。ですが、修士論文を提出し博士後期過程への進学が決まった時に、非常に大きな解放感と励ましを与えられ、研究はたとえ自分のような遅めのペースの人でも着実に継続することで、自分なりの方法で進めていけると思えるようになりました。コツコツ研究作業をしていく中でいつの間にか道が開かれ、徐々に研究者のようになってきたという感覚です。今後は、台湾の地域社会と教会、植民地支配との関係をより細やかに見てゆくこと、そのためにも台湾語の史資料の収集と分析をさらに進めたいと考えています。また、これまでの研究を英語で発信することに努め、日本語以外の言語を使用する研究者とも、より活発に意見交換をできるようになることを目標としています。
読書・散歩・カメラ
散歩や、研究とはあまり関係ない物語を英文で読むことは、頭が切り換わり良いリフレッシュになります。カメラは散歩の時に必ず携帯し、主に昆虫や草花を撮影して楽しんでいます。
ココペリのストラップ
陶芸家の妹からの誕生日プレゼント。ココペリとはアメリカ先住民ホピ族の精霊で、豊穣の象徴です。エディンバラで研究滞在していた時には、色んな知らない人たちに「それは何?」と声をかけられ、多くのフレンドリーな会話のきっかけになってくれました。
勉強・研究のいずれにおいても、そしてそれ以外のどのような職業や活動においても、あまり自他を比較せず(自他のスタイルの違いの認識は良いことだと思います)、まずは自分なりのペースとスタイルを作りつつ、興味を持つこと、熱中できること、自分にとって大事なことに楽しみながら取り組んでください。必要に応じては120%の力を発揮すべき場面に出会すこともあると思いますが、そういう場合でも思い詰めすぎず、普段は80%の力での作業をキープする時間を意識的に作るなど、心と体の調子を大切にしながら進んでいってください。