キャリアストーリーを知る女性研究者インタビュー
人生は紆余曲折の連続。思いもよらない選択が進路を拓く
京都大学「医学領域」産学連携推進機構 特定助教 / 井貫 恵利子 ( INUKI ERIKO )
- 京都大学薬学部を卒業
- 京都大学大学院薬学研究科博士 後期課程を修了
- 独立行政法人 医薬品医療機器総合機構
- 国立研究開発法人 日本医療研究開発機構
- 京都大学「医学領域」産学連携推進機構 特定助教
環境省中央環境審議会専門委員
京都大学に進学するまで、ずいぶん遠回りをしました。中高と私立の一貫校ですごし、そのまま大学に内部進学するはずが、高校3年生の秋に急遽、両親からまさかの「反対」。外の世界を経験してほしいという親心だったようですが、当時の私は「センター試験」の存在すら知りませんでしたので……。1年間猛勉強して国立大学に合格しました。
五里霧中の大学生活をへて
そうして、大学生活がはじまると、これまで流れるままに生きてきた私の胸にはじめて、「私のしたいことってなんだろう」という問いが浮かんできたのです。すくなくとも、「いま学んでいるこれではないぞ」と。1年で退学して翌年に、京大薬学部に入学しました。とはいえ、薬学を選んだのも、得意科目が理系であること、手に職がつけられるからという安易な理由。なにも見えない水中を泳いでいるような20代前半でした。
修士・博士課程への進学は、「せっかく入学したからには博士号がほしい」という無邪気な気持ちから。現実は甘くなく、4回生で研究室に配属されてからの6年間は、体力面、精神面、学力面のどれもギリギリ。とにかく周囲についていくのに必死でした。苦労した記憶ばかりですが、岐路に直面したときに「私ならなんとかなる」と思える図太さは、この時期を乗り越えたからこそ身についたのでしょうね。
研究するからにはもちろん、「病気を治す薬を創りたい」と思っていました。しかし、研究が深まるにつれて、創薬までの道のり、そして患者さんとの距離の遠さに不安を覚えるようになりました。そんな私の迷いを察してか、当時の指導教官が紹介してくださったのが医薬品医療機器総合機構(PMDA)。医薬品の審査や市販後の安全性の検証に携わることも、創薬において重要な仕事だと知りました。企業と医療現場、国民との架け橋となるPMDAの仕事は、私の創薬への想いに一つの解答を与えてくれたのです。
仕事と育児との両立に悩んだことも
研究者の夫とは京大の入学式で出会い、大学院修了時に結婚しました。就職後関東ですごし、夫の転職に合わせて2017年に京都にもどりました。夫が単身赴任をする選択肢もあったでしょうが、夫婦ともに関西出身ですし、幼子2人を抱えた私は関西への転職一択。当時の上司が親身になって諸所へ掛け合ってくださり、大阪の関連組織へ出向できました。出向直後は、京都から大阪へ毎日通勤するだけで精一杯。仕事に慣れない時期なのに、急な保育園のお迎えで早退したり、子どもの入院で休暇をとったり、職場に迷惑ばかり……。いまでこそ夫も協力的ですが、当時はこのやるせなさを理解してくれず、怒り心頭(笑)。3年の出向期間をへてようやく先を考えはじめた私に、当時の上司が紹介してくださったのがいまの仕事です。
メディカルイノベーション大学院プログラムは、最先端の医学知識と研究力を身につけ、さらには成果の社会実装までを担える人材、社会をよりよく変革するための結果を出せるイノベーターの育成をめざしています。おもな対象は、医学研究科と薬学研究科の大学院生。医学研究科の学生は、大学卒業後に医師として経験を積んだあと、現場で見つけた課題を解決すべく大学院に進学する人が多いようです。「医師になる」というゴールに到達したあと、道すじのない人生に直面して自信をなくし、病院以外の場所で自分にできることを探す学生もいます。私の経験もふまえながら、そうした学生の指針となる知恵や情報を提供できればと日々、業務に励んでいます。
若いうちは360度、すべてを試してみればいい
数年先の自分がどこでなにをしているのかはわかりません。いまは子どもが第一。夫の転属があれば夫についてゆく選択をすると思います。だからこそ、どんな場所でも自分を見失わず、みずからの足で立てるように価値観や考え方の軸をたもつことを強く意識しています。
学生時代には、教育に関わる仕事をするなんて想像していませんでしたが、とても楽しい。40歳を迎えたいまからでも、新しいことにはぜひ挑戦していきたいです。若いうちはなおさらで、360度すべての選択肢を試すくらいでいいし、試して困ったら助けを求めたらいい。自分一人で人生を切り拓ける人はごく一部。私もいまここにいるのは、要所要所で周囲の人たちが助けてくださったおかげです。
選択を迫られる場面で頼りになるのは、信頼できる人間関係と選択肢の数。小中高と同じような境遇の人に囲まれてきた私の道を拓いてくれたのは、生まれや育ちのまったく違う個性豊かな人たちに出会えた京大での日々でした。ぜひ「おいでやす」と伝えたいです。