キャリアストーリーを知る女性研究者インタビュー

たいせつなのは体感・体験の知。自分のからだで実験し、自分自身をプロデュース

人間・環境学研究科 准教授 / 中筋 朋 ( NAKASUJI TOMO )

  • 京都大学文学部 卒業
  • (フランス) リヨン第二大学学士課程修了
  • 京都大学大学院文学研究科 修士課程修了
  • (フランス)パリ第三大学 修士課程修了
  • 京都大学大学院文学研究科 博士課程修了
  • 愛媛大学法文学部 講師
  • 同 准教授→京都大学大学院人間・環境学研究科 准教授

[研究テーマ] フランス演劇・身体と無意識

世界各国のパフォーマーとともに演劇三昧
 高校時代は病気がちで運動禁止の時期があったため、体育祭や遠足などの思い出は少ないものの、ピアノに夢中になり一所懸命に練習したり、文化祭には友人とカジノを開いたり、小説を書いたり、好きなことに没頭する時間の長い毎日でした。当時はまだ自分の興味と勉強とが結びつかず、認知哲学を学びたいという漠然とした気持ちで、京都大学文学部へ入学しました。
 入学後は学生劇団に入り、劇団の活動がはじまる18時になってその日はじめて大学に……ということも多々ある、不真面目な学生でした。劇団では、そもそも喋りながら動くということがとても難しく、自分が自分のからだをまったく把握していないことに気づき、その後コンテンポラリーダンスのワークショップに多く参加するようになります。
 夏休みには、ギリシア、ドイツ、アメリカ、フランスなどさまざまな国の先生に1日中レッスンを受けたり、いっしょにパフォーマンスをつくったり、と贅沢な時間をすごすこともありました。第二外国語がドイツ語だったのにフランス文学研究室に進んだため、授業で読む文章にいつも手いっぱいでしたが、よき言語交換パートナーやその友人とすごすことで新しい言語を身につけていく楽しさを経験することができました。

哲学、科学……多角的方面から演劇にアプローチ
 学部生のころは、自分がダンスや演劇の世界で体験していることと、大学での勉強とをかなり分けて考えていました。まったく違う研究をすることも考えましたが、最終的に、自分がからだ、意識、ことばについて体験したことを考えていくには、ことばを発しているからだと対峙する芸術である演劇について研究するのがいちばんよいように思えました。
 また、19世紀末のヨーロッパは、からだと無意識の問題を考えるうえで、おもしろいターニングポイントです。もともとはフランス現代演劇を研究していましたが、その後、現代演劇をつくる大きな転換点となった19世紀末の研究へ。人間の脳の仕組みがわかってくると同時に、私たちが「無意識」の影響を強く受けているということも注目されるようになった19世紀末の、「人間の内面の表現はどのようなものになりうるのか、そしてそれを身体で表すとどのようなことになるのか」ということを研究のテーマにしています。このことを考えるには、演劇そのものだけでなく、当時の哲学・科学、そしてそれがどのように生活に働きかけていたかを知ることが必要です。
 また、演劇作品や文学作品を見るにしても、その芸術的な価値を探るだけでなく、歴史資料として見る視線も重要になります。最近は、人間の思考が、魔術的なものと非魔術的なもののあいだでどのように螺旋を描いてきたかを考えるために、19世紀の小説や戯曲、そして演技実践について考えています。

書くこと、話すことで芸術を表現する
 演技というものをとおして気がついた「私は自分のからだの操縦が下手である」ということは、日常生活でもいろいろな「生きにくさ」を生んでいます。それに取り組むために、からだにアプローチして、その影響について考え、まわりの人たちともそれを共有していくうちに、大学院生になっていました。芸術を「している」人がまわりに多かったので、「それについて書く」ということには後ろめたさがありましたが、フランス留学でそのように「書く」、「話す」ということも芸術と同じ意味でひとつの行為になりうるということがわかり、これをずっとつづけていこうと思い、最終的に研究者になっていました。
 研究者は、研究をしていくと同時に自分をプロデュースする必要もあります。そのことをたいへんだと思うより、自由でよいなと思う気質だったことが現実的には大きかったのだと思います。考えてみると、私は「自分のからだで実験すること」が好きなようです。語学でもからだを動かすことでも、頭でわかることと、それができるかどうかは別の問題です。なにかについて考えることや書くことは、この違いがわかりにくくなりがちですが、体感としてわかっているかどうかを置き去りにしないようにしています。
 また、「ニュートラルに、けれども個性的に」ということも心がけています。身体がもっている「個性」と、日常生活の蓄積でできたからだに負担をかける「癖」は大きく異なります。一見個性にも見えるこの「癖」を解放したあとに出てくる「個性」をだいじにしたいと考えています。加えていままで学んできたことをさらに進め、学問として広げていくことができるといいですね。

♢ ESSENTIAL THINGS

書見台と万年筆、ノート
研究ノートなどを、いったんすべてデジタルにしたこともありましたが、数年まえにすべてアナログにしました。このスタイルが、もっとも考えが発酵しやすいなと思っています。

♢ Key Item

アシュタンガ・ヨガ
かなり激しいこのヨガはもはや趣味ではなく、生命線のようなもの。朝、このブラックマットに立つ時間が生活と研究の基盤です。ヨガを通じて知り合った方々との結びつきも、大学院生のころからとても支えになっています。


私自身は、自分が抱えているとても個人的に思えたこと、興味があって大学の外でやっていたこと、大学での研究としてやっていたこと、それぞれはどれも一見遠いものでありながら、最終的にひとつになってきて、研究者になりました。迷子になったようでも、そのあいだの足跡の意味をあとになって「発見」することがあります。迷ったときは、まずは迷っているあいだのことをよく観察するのもありです。研究者というのは「なって終わり」というより「なりつづける」ものという気もします。「あえて迷ってみること」におもしろさを感じるのなら、研究者であることは楽しめると思います。