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研究者になる

古川 愛子(地球環境学堂・准教授)

感謝と初心を忘れずに

工学部地球工学科の土木工学コースを卒業し、地震工学に関する研究に携わっています。

小さいときから理数科目が好きで、小学校5年生のときに既に、私は理系だな、と思っていました。旅先で経験した1994 年北海道東方沖地震と、その3か月後の1995 年兵庫県南部地震の2つの地震をきっかけに、地震のことに興味を持ち、地球工学科を志望しました。4回生のときに、希望していた地震工学の研究室に入ることができたときは嬉しかったです。しかし、最初から研究者を目指していたわけではありませんでした。

工学部の学生のほとんどは大学院に進学します。しかし私は、家族の勧めもあって、地元の役所に就職しました。公務員試験の準備を進めていたころ、研究室教授の土岐憲三先生から、大学院に進学して、博士課程まで進んで、研究者になるという選択肢もある、そのほうが、あなたにとってはハッピーではないか、とのお言葉を頂きました。研究に興味がありましたので、お言葉を頂いて気持ちが揺れましたが、役所への就職を選びました。

しかし役所に入って、ここは自分の居場所ではない、大学院に行って研究をしたい、という気持ちが日に日に強くなり、思い切って院試を受け直し、同級生に1 年遅れで大学院修士課程に進学しました。

私は研究者になるのに一年遠回りをしましたが、その遠回りがよかったと思っています。自分と向き合い、本当にやりたいことが分かったからです。今は自分の居場所が見つかり、好きな研究をさせて頂いている、という感謝の気持ちでおります。研究者の道を勧めてくださり、再び温かく迎えてくださった土岐先生には感謝しています。

大学院に進学してからは、学外の研究委員会に参加する機会を頂いて、研究室の外に世界が広がりました。他大学の先生や院生との交流を通して、地震工学には様々な研究分野(地震動、構造物、地盤、防災、等々)があることを知りました。少しずつ知識が身につき、議論に参加できることに喜びを感じながら、充実した日々を過ごしました。

博士課程の途中で、九州大学の大塚久哲先生の研究室で助教としてお世話になることになりました。民間企業との共同研究が盛んな研究室で、技術者の方とお仕事をする機会に恵まれ、実務のことを広く勉強させて頂きました。自分の学位論文の研究に取り組みつつ、学生指導や、委員会活動、共同研究などに参加させて頂きました。また、夏休み期間に2カ月ほど、イギリスのケンブリッジ大学に留学する機会も与えていただいた大塚先生には大変お世話になりました。

そうこうしているうちに、京大に異動することになりました。1 年目は、小池武先生、五十嵐晃先生の研究室でお世話になり、好きな研究に専念させて頂きました。小池先生と五十嵐先生の、研究に対する真摯な姿勢に触れたこの頃から、浅く広い研究でなく、研究テーマを絞って、深く詳しい研究をしていきたいと思うようになりました。

2 年目、現在所属する清野純史先生の研究室に異動となりました。清野先生は、学生時代からお世話になっている、強くて優しくて包容力のある先生です。研究室は、清野先生の人柄に惹かれて集まってくる学生や共同研究者で活気に満ちています。毎日研究室で楽しく過ごすことが出来ているのは、ひとえに清野先生のお人柄のおかげと感謝しています。

これまでを時系列で振り返ってみて、改めて、自分は恵まれた環境で周りの方に支えられてこれまでやってこられたと、感謝の気持ちでいっぱいです。これからは、自分が与えていく側になって、恩返しをしていきたいと思っています。そして今年は、2011 年の東北地方太平洋沖地震から5年目となります。当時、津波被害の映像を見て、被害の大きさに言葉を失ったことが思い出されます。兵庫県南部地震以降、土木構造物の耐震設計は大きく進歩しましたが、東北地方太平洋沖地震を経験して、新たな課題が多数見つかりました。地震工学者が取り組むべき研究課題は、まだまだたくさんあります。自分の研究成果が、問題解決に少しでも貢献できるように、自分のペースで、精一杯、研究に精進していきたいと思っています。

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