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研究者になる

野村英子(理学研究科・助教)

女性研究者として思うこと

 「研究者になる!」の執筆依頼を受けたものの、性格的にあまり色々悩んで進路を決めてきたわけでもなく、子供がいるわけでもないので、私の体験談がロールモデルになるのか些か疑問なところはあります。なので、日頃徒然に考えていることなどを(絵空事な感も少々ありますが)私の体験も交えて書かせてもらおうかと思います。

 まず進路に関してですが、小学生の頃から理科が好きで、将来研究っぽいことをしたいと漠然と考えていました。高校3年で進路を決める際に、物理が好きだったのが主な理由で宇宙物理学をやってみたいと思い、その延長で今に至っています。というわけで、進路についての悩みというのは(例外的に?)あまりなかったのですが、ポスドクを7年もしているので、順調に進んできたわけではありません。今研究職に就けているのはひとえに周りの皆様のお陰と思います。

 さて、女性と男性の研究者の違いを考えると、(出産はもちろんですが)人数比があげられるかと思います。私は京大理学部出身で、当時は50人ちょっといるクラスで女子は2人だけでした。高校はクラスの3分の2が女子という変わった高校だったので、いきなりのマイノリティーでしたが、それでも同じクラスに同じ立場の人がいるのは良かったと思います。大学院に入ると、宇宙物理学教室では、一学年10人程度の中で女子は私1人でした。しかし、一つ上の学年には女性の先輩がおり、また周りから差別されたりすることは全くなかったので、不満はほとんどありませんでした。それでも、マイノリティーであることを負担に感じることも偶にはありました。物理学教室で大学院に進んだ女友達と集まり、愚痴ったりしたのを憶えています。

 ポスドク時代は、ちょうど大学院重点化世代がポスドクになった時期で、日本にポスドクの口が殆どありませんでした。そこで、1年日本でポスドクをした後はイギリスの大学で雇ってもらいました。イギリスの大学で私が最初に所属していた研究室では、大学院生の女性比は日本と大きくは違わなかったですが、一番の違いはスタッフやポスドクに女性がいることでした(ちなみに2度目に所属した大学の研究室では女子の院生が半数いましたが、これはイギリスでも珍しいようでした)。この違いは、ひとえに歴史の違いなのかと思います。知人の家を訪れた時に、私の祖母くらいの年齢の上品な女性が、大学の生涯教育の授業で、アインシュタインの孫弟子に授業を受けたことがある、というのを誇らしげに語っていたのが印象的でした。日本にもいつかこんな時代が来るのだろうか、と思ったものです(周りを見て、大学の外でそういうことを言いそうな女性は、日本では若い世代でもあまり想像がつきません)。

 私の祖母がよく、今は女性も好きなことをできる、良い時代になったねぇ、感謝なさい、と言っていました。欧米に比べたら遅れているものの、祖母が若かったころに比べたら、全くその通りなのだろうと思います。私自身も、父が好きなことをさせてくれたお陰で、研究職に進もうと考えたのだと思います。また、結婚した直後にポスドクでイギリスに行くことになったのですが、夫がイギリスに一緒に来てくれたのも幸運でした(この話をすると、海外でも驚かれますが、私が知っているだけでも同じような例は2件あるので、全く無いわけではないのでしょう)。

 私自身、就職で苦労はしましたが、そもそも競争率が高く男性でも苦労するので、女性であることを不利に感じたことはありませんでした。ただ普段あまり意識しなくても、子供の頃からの教育・価値観や女性がマイノリティーであることが、女性が研究職に進みにくい状況を作り出している、というのはあると思います。まわりの女友達が研究職に進むのを止めてしまったときを鑑みると、女性なのだし無理して研究者にならなくても良いのでは、といった雰囲気が自身や周囲にある場合があります。私自身、進路ではあまり悩まなかったものの、研究内容は院生の頃と今とではかなり違っており、海外で女性研究者が多い分野に無意識に進んできた感もあります。男性と女性が同じである必要はないと思いますが、女性でも研究をしたいと思ったときに負担なく続けられる環境があるのは、少子化で人材不足が予想される将来を考えても、理想的と思います。最後に、女子大学院生同士の話し合いの場を設けたり、出産・子育てを支援してくれる女性研究者支援センターに感謝して、筆をおきたいと思います。

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