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研究者になる

見学美根子(物質-細胞統合システム拠点(iCeMS)・准教授))

不安を乗り越えて

 私の専門は神経発生学で、脳内で神経細胞がネットワークを作りあげる機構を解析しています。また、脳機能の柔軟性、個体の経験や学習に応じて回路が再編成される機構にも興味をもち取り組んでいます。

 この連載が成り立つほど女性研究者はまだ希有なのだと思いますが、高校から大学までの私が描いていた未来像は、大学卒業後数年間会社で働き、20代後半に結婚し家庭をもつだろうという平凡なものでした。高校の頃は数学と物理が苦手で、能力的には文系の方が向いていたと思いますが、どうせなら好きな生物と化学を勉強しようと東大の理科2類から理学部生物学科に進学しました。しかし入ってみると理学部は大学院進学を前提としたプログラムで、専門2年間の実習と授業では如何にも中途半端な感じでした。そこで「もう少し」と修士課程進学を決めます。修士課程研究で、誰も知らないパズルのピースを探し出す、新しい発見をすることの面白さに目覚め、研究にのめり込みました。一つの小さな答えを出すと次の疑問が湧き、自分の進みたい研究の方向性も見えてきます。「もう少し、もう少し」の繰り返しで博士課程へ、ポスドクへと歩を進めました。

 一方で研究を続けることにはずっと不安が付いて回りました。セクハラ等という言葉もなく、「女子の入門お断り」を掲げる研究室も多くあった時代です。ハードな研究生活と女性としての結婚生活は両立が難しいけど覚悟はあるのかと教官に問われたこともありました。描いていた「平凡な幸せ」の青写真は遠のいて行きます。男性なら研究に打ち込んでも家庭を築けるけど、女性は何故それができないのだろう。研究は面白いけど、人生全てを研究に捧げる覚悟などあるわけもなく、人並みの幸せを望む両親に30近くなっても仕送りをしてもらわねばならない、自分のやっていることは正しいのか、自問する日々でした。

 悩みすぎてどこか麻痺してしまったのか、とにかく海外に出たいと思い、博士課程終了後ただちにハーバード大学でポスドクを開始しました。そこで世界から集まった多くの優秀な女性研究者に出会います。アメリカは個人主義と多様性を掲げたリベラルな国である反面、個人の考え方は実はとても保守的で、女性やマイノリティーに根強い差別があると感じます。違うのは女性の側で、私のように周りの意見に神経質に怯えるのでなく、皆葛藤を抱えながらも自分らしい生き方を自信をもって模索していました。彼女達との出会いを通じて、私も腹が据わったように思います。「研究者になる!」と。研究スタイルもライフスタイルも、自分らしく一生懸命できればいいのでないかと思える様になりました。

 帰国して助手になり、研究室をもち、人よりかなり遅く家庭をもち、紆余曲折を経て今に至ります。研究と家庭の両立はできていると言いがたくジレンマにもがく日々ですが、欲張らせてもらって恵まれた人生だと感謝せずにいられません。自分の持っているものを少しでも人をプラスに動かす力に変えたいという思いです。

 これまでお話しする機会のあった若手女性研究者の方達に、私が経験したのと同質の悩みを感じることがあります。普通と違う、変わった人生に踏み出すことへの不安。移動が多く不安定で先が見えない研究者生活。けれども順番や時期に囚われず、目の前にあるものにひとつずつ取り組んでいけば、それほど偏りのある人生にはなりません。(本当はどんな人でもそれぞれ偏っているはずです。)自分が待っている何かを得られなくなる不安で、本当のモチベーションとポテンシャルを封じ込めて踏みとどまるのでなく、一歩飛び出してそこで出会うものを掴む、そんな肉食系な女子であって欲しいと願っています。

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