近藤科江( 医学研究科・特定教授(科学技術振興) )
目的をもった研究者であり続ける
私が研究者になりたいと思ったのは、大学3年の時、薬理学の授業を受けていた時だった。授業をしていた助教授が薬理の基本を教えようとして、自分の研究から得られた結果を熱く語る姿をみて、「自分もやってみたい」と単純に思った。その足で助教授の所に行き研究をさせてくれるように頼んだ。助教授にしてみれば、実験の「じ」も知らない学生が何の知識も無く「研究をしたい」と来たわけだから迷惑な話だ。その時は断られたが、4年生の配属の時に、あきらめずに再度願い出た私を受け入れてくれて、とにかく無我夢中で研究に明け暮れる日々が続いた。
子供のころ体の弱かった私は、薬の世話になる事が多かった。「薬は凄い。多くの人の役に立つ。」と子供ながらに薬に憧れと尊敬の念を持っており、薬学に進んだ。しかし、大学で学んだ事は、自分の思っていたものとは何か違っていた。自分の進路も考え始めていた時にめぐりあった「研究」。やっと探していたものと巡り合えた気がして、それこそ寝食も忘れるほどその魅力に取りつかれた。4年生では必須科目以外は全くとらず、国家試験の準備講座も一回も出席せず、国家試験の2週間前まで実験をしていた私は、その学年で不合格になった二人のうちの一人であると誰もが疑わなかった。それほど実験三昧の日々を過ごした。
しかし、時代は今から四半世紀以上も前のこと、社員募集要項に「男子のみ」と明示される時代だ。大学院も「女性は不可」と受験すら許されず、研究者への道は断たれたと諦めても良い状況だった。同級生のほとんどが薬剤師になっていく中で、留学を決心した。今ならば、出身校の大学院に進学できなければ、他大学を受験することを思いつくのが普通なのだが、当時は出身校以外への大学院進学は極めて難しかった。たまたま米国の「免疫療法」の最先端の研究を紹介する番組を見て、ぜひ「免疫」を研究しに米国に行きたいと思った。しかし、大学の学費も生活費も自分で賄っていた苦学生の身で、留学は無謀な計画だった。思いついた日から、奨学金を取るための活動を開始し、東京にも出かけて行った。たまたまサークルの顧問をしていた先生のご厚意でロータリー財団の奨学金を頂ける事になり、留学が実現した。今でも感謝の気持ちで一杯だ。ただ、留学先は自由に選ぶことができず、結局「免疫療法」に関する研究に携わる事はできなかった。目の前にある課題を克服して、多くを学ぶことに専念する留学生活が続き、目的を達すること無く、修士を修得して帰国した。
帰国後も「免疫」に関する研究に携わる機会を得ることは無く、がんの研究に携わり現在まで続けている。医学研究科で博士を修得したが、博士号をもった女性に研究職は皆無の時代だった。教授が斡旋してくれた企業の研究職は「短大出も医学博士も扱いは同じだ」と言われ、就職を断った。
その後は、研究生、日本学術振興会研究員、新技術事業団研究員、京都大学医学研究科研修生と11年余ポスドク生活を送り、その間結婚と出産も経験した。何の制度にも守られない出産と子育ての中で、多くの物を犠牲にせざる得ない研究生活であった。何度も「研究者」を続けることを断念せざる得ない状況に直面し、その度に「何故研究を続けたいのか」と自問自答した。「研究が好きである」ということを確認すると同時に、「まだ何も世の中の役に立つものを創出していない」という反省があった。「研究者になってよかったのか?」という問いは今もあり、その答えはまだ出ていない。
ただ、今年特定とはいえ教授に就く事ができ、6月には第13回日本女性科学者の会・奨励賞を頂き、少なくとも「研究者を途中で投げ出さなくてよかった。」と心から思う事ができ、自分なりに一区切りつける事ができた。同時に、ここまでの道のりは決して平たんではなかったし、自分でも最大限の努力をしてきたけれども、なにより、それを支えてくれた多くの人々の援助があってこそ今があると、「感謝」の一語に尽きる。
つい最近、学会でお会いした若い女性研究者が、自分の恵まれない研究環境を愚痴っているのを聞いて、老婆心ながらこう言った。「たとえ教授になっても、自分のしたい研究が自由にできる環境になるということは、まずないでしょう。今与えられている環境がベストの環境だと思って、自分の持っている能力や力量を最大限に発揮できてこそ、次の道が開けてくるものではないでしょうか?」これは、いつも自分に言っている言葉である。
最近は、男女共同参画のための様々な活動にも公的な資金が投入されるようになり、堂々と議論もできるような環境もできつつある。私が体験してきた多くの困難も「しなくても良い苦労」として昔話になりつつあり、本当に喜ばしいことだと思う。同時に「研究者」を続けることを断念せざる得ない状況に直面する機会を失う事で、「何故研究を続けたいのか」と自問自答する機会を失うことになるのではないかと杞憂する。男女を問わず、「研究者」は目的をもった研究者であり続けてほしいと願っている。