松下佳代(高等教育研究開発推進センター・教授)
迷いながら研究者
「研究者になる!」という連載の第1回の執筆者に、私はまったくふさわしくない。「研究者になる!」というフレーズからは、若いうちに研究を志し、それに向けて確固とした信念のもと歩んできたというイメージを受けるのだが、私の歩んできた道のりは、迷い道さながらだったからだ。
私は、1979年に京都大学教育学部に入学した。もともと教育学部に決めたのも二次試験の願書を出す直前で、人間を相手にするような学問が学びたいという漠然とした思いからだった。小・中と高校とでかなり異なる学校経験をしたことから学校教育に問題意識をもち、教育方法学を専攻することにしたものの、大学卒業後の進路でまた悩んだ。大学院を出て研究職につくというのは憧れだったが、「OD(オーバードクター)問題」の深刻さ、とくに女子院生の就職の困難さなどを見聞きすると、とてもやっていける自信はなかった。4年生の頃は、企業に就職するか、大学院に進学するか、二転三転しながら、就職活動と卒論の準備を続けていた。やっと結論を出したのは、内定をもらった会社のアルバイト研修に通っていた2月のことだった。「途中で挫折しても、自分がやりたいことだったら悔いはないんじゃない?」という年上の友人の言葉に、ずっと非常勤講師のままかもしれないけれど、何とか食べてはいけるだろう、とにかくやってみよう、と覚悟を決めた。
1988年の3月末、博士後期課程を終えると同時に、私は研究室の先輩だった人と結婚し、夫の勤務地である金沢に移り住んだ。研究室を遠く離れ、アパートの四畳半の自室にこもって研究を続ける生活は、このまま主婦という日常の中に埋没してしまうのではという不安とあせりをかき立てるものだった。家賃8千円という破格に安い下宿を京都に借りて、月の3分の1は京都で過ごしてエネルギーを蓄え、その余勢で金沢での残りの3分の2を乗り切るという期間が続いた。
長いOD生活は、公募に出しては落ちるということの連続だった。ゆうに20回以上は繰り返しただろう。考慮の末応募することを決め、淡い期待を抱いて公募書類を準備し、2ヶ月、3ヶ月とその結果を待ち、「ダメだったか」を自分をあきらめさせて気を取り直した頃に、書類が送り返されてくる——「残念ながら貴殿のご意向には添えませんでした」。その間に、友人や後輩は次々に就職していった。いま振り返っても、よく乗り切れたなと思う。精神的・経済的に支えてくれた夫、暖かく見守ってくれた両親、励ましあい知的刺激を与えあった研究仲間、そして同じ困難を経験してきた先輩女性研究者たち。こうした人びとのおかげで、私は何とかキャリアをあきらめずにすんだ。
OD生活7年めも終わりにさしかかった1月のある日、就職の機会は突然訪れた。出身研究室の助手の職だった。経済的に自立し、自分のオフィスがあり、周囲には研究する雰囲気があふれている。任期つきではあったが、職につくということ、そして京大という環境のありがたさを身にしみて感じた。2年間の助手時代を経て、群馬大学教育学部で教育内容・方法学担当の助教授を5年間つとめた後、2002年に現在の職場にポストを得て再び京都の地に戻ってきた。
女性が研究者になるということ。結婚し子育てもしながら研究者を続けるということ。私が長いOD生活を送らざるをえなかったのは、何も女性で既婚者だったことだけが要因ではないだろう。研究テーマ・業績、年齢、学閥……。さまざまな要因が関与しているに違いない。とはいえ、最終的に公募で常勤ポストを得ることのできたのは、就職での性差別がまったくないところだった。
当時に比べると、現在は就職での性差別は大幅に軽減されてきている。私が兼任する教育学研究科でも、私の院生時代にはたった1名だった女性教員が、現在は34名中10名にものぼっている。しかし、その一方で、OD問題、PD(ポストドクター)問題は、大学院重点化による院生数の増加と大学経営難によるポストの減少・流動化によって、当時以上に深刻化しているように思われる。どんな問題でも、弱者にそのしわ寄せがいくものだ。就職上の性差別がいくら軽減されても、OD問題、PD問題が深刻化すれば、女性がそのしわ寄せを受けるおそれは大きくなる。
女性研究者支援センターは女性研究者(研究者を志す女性たち)を包括的に支援するために作られた機関だ。私の院生の頃には、「女性は男性の3倍努力しないと認められない」と言われた。だが、男性研究者だって必死なのに、そんなことは無理だし、そもそもおかしな話だ。男性とそれほど変わらないくらいの努力で、女性が研究者になり、女性としての生き方を犠牲にしないで研究者を続けられる。しかも、その努力が自分や周りの家族の自助努力だけでなく、公的な援助によって支えられる。女性研究者支援センターの活動が、そうした私たちの願いを現実化する手助けをしてくれることを希望してやまない。